ひろい世界で生きる、働くを考える。 東京・世田谷のスモールイベント LIFE:WORK。
記念すべき第1回のスピーカーとして登場してくれたのは、日本人とペルー人のハーフで、チェコ・プラハでモデル事務所を経営するマカベ=カンポス・タダシさん。
「この仕事をするために生まれた」「仕事を愛している」
仕事、人、生活について、タダシさんの愛のあふれるストーリーを、どうぞ。

[heading header_type=”h2″ header_size=”normal” header_weight=”bold” header_align=”left” header_underline=”no-bordered-header”]二週間で荷物をまとめて、ロシアへ。[/heading]

——新潟の高校を卒業後にイギリスに留学、ペルーの大学で医学を勉強した後、ロシアに興味を持ったタダシさん。決めたら即行動の彼は、留学生としてロシアに渡ります。

あるテレビ番組を見て、すごくロシアに興味を持ったんですね。それで早速、大使館に電話をして。
「あなたロシア語は話せますか?」「ロシアで何を勉強したいんですか?」
もちろんロシア語なんて話せないし、何をしたいかも、分かりませんでした。でもとにかくロシアに行くしかない!って思ってしまったから、大使館に電話をした2週間後には、ロシアに旅立ちました。

日本人の留学生グループの中で「なんか違うのが混じってる?」なんて言われながらロシアに着いて(笑)。最初はロシア語も全く話せなかったですよね。バーで女の子に話しかけるために、「タバコくれない?」っていうためにタバコを始めたりして。

[heading header_type=”h2″ header_size=”normal” header_weight=”bold” header_align=”left” header_underline=”no-bordered-header”]自分の場所、プラハとの出会い[/heading]

——初対面でも物怖じしないコミュニケーション力で、ロシア語を2ヶ月半でマスターしたタダシさんは、モスクワ大学でヨーロッパ国際関係を学びます。大使館で聞かれた「何がしたいの?」という質問は頭の片隅に残ったままでした。

モスクワ大学のクラスメイトに、チェコとロシア人のハーフの子がいました。その友だちの縁で訪ねたプラハが、ほんとうに美しくて「ここに住みたい!これが私の街!」って思ってしまったんですね。それで、半年後にプラハに引越しました。

南米で育って、日本からイギリス、ペルー、ロシア、チェコ・・・。何故そんなにアッチコッチ行くの?と聞かれることはあります。それは私がハーフで、日本に居ても、ペルーに居ても「半分外国人」何をやってもそう見られるのが嫌だったのかもしれない。それならヨーロッパとか関係ない国で、最初から「外国人です」「タダシです」って、個人として対等に評価されたいという思いがあったんですね。

[heading header_type=”h2″ header_size=”normal” header_weight=”bold” header_align=”left” header_underline=”no-bordered-header”]自分の仕事=ファッション!に目覚める[/heading]

——タダシさんは、プラハに住むために、プラハにあるアメリカの大学に入り、国際経済学を専攻。卒業後、何をして働こうかと思っていたところで友人に誘われ「モデル・エージェンシー」の仕事に出会いました。

ずっとファションは好きだったから、興味はあったけど、迷いました。医学、国際関係、経済学、いろいろ勉強して、両親にも迷惑をかけて、モデル事務所で働いていいの・・・?って。
迷った時は、お母さんに電話します。

そこで言われたのが、「あなたは本当に自分が好きなことをやっているの?」ということ。子どものころからファッションやデザイン、アートが好きだったのに「なぜ医学や経済の勉強?」と逆に聞かれてしまって。。

それで、決心して、モデル事務所で働き始めて最初の1週間で
「私はこれをするために生まれた!」と分かりました。ほんとうに(笑)。すぐわかった。

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[heading header_type=”h2″ header_size=”normal” header_weight=”bold” header_align=”left” header_underline=”no-bordered-header”]なりたい自分は自分で決める。自分でなる。[/heading]

——モデル事務所に入って、ファッションの仕事は天職だと気づいたタダシさんは、ディレクターを目指す決心をして動き出します。

別に、誰かにそういわれたんじゃない。
せっかく好きな仕事に出会えて、やると決めんだから、モデルのブッキングとマネジメントだけで終わるのは嫌だった。ディレクターになってもっと色んな事が見たい。
そのモデル事務所は世界中にマーケットがある会社だったから「アジア部門のディレクターは私がなる。3ヶ月でなる。」そう決めました。

—— 実際に3ヶ月でアジア部門のディレクターになったタダシさん。そうなるために、そうなった後にしたことは。

自分でやれることは全部やるんです。
東京に行き、韓国に行き、中国、香港、シンガポール、アジアのマーケットは全部訪ねて、現地のモデル事務所やファッションデザイナー、クライアントに会って回りました。自分達のモデルを活かそうとしたら、現地で力のある代理店と組まないとダメだし、その国の「美しい」の基準や、ビジネスの価値観とか、理解する必要があるんです。
最初の頃は旅費も全部自分。仕事の休みを1ヶ月くらいまとめて取っては、アジアを回っていました。

大学で国際経済や国際関係を学んだ事は、役に立ったと思います。
あとは、私が日本人であること。朝の8時から夜12時まで、いくら働いても平気(笑)。チェコの人は「明日のごはんを食べるため」に仕事をする人が多いと思う。
ディレクターになった後は、みんなのためにマニュアルを作りました。「その国のバックグラウンドを理解する」とか「どんなクライアントと、どうやるとお金を生み出せるか」とか。もう厚い辞書みたいな。読んでるか分からないけれど(笑)

[heading header_type=”h2″ header_size=”normal” header_weight=”bold” header_align=”left” header_underline=”no-bordered-header”]寝ても覚めても、この仕事を愛してる。[/heading]

——8年間モデル事務所に務めた後、同僚と4人で立ち上げた事務所が「スーパーモダ・マネジメント」。しかしその事務所はうまく行かず、解散。タダシさんひとりの事務所として再スタートします。

自分で会社を始めるって大変ですよね。どうなるか分からないし。
4人の会社のオフィスは引き払って、それで自宅のキッチンで、ホームオフィスで始めました。
結局、今もそのまま、キッチン・エージェンシー(笑)ですけど、チェコ、スロバキア、ハンガリーのエリアでは、トップ1のモデル事務所だと思う。メンズモデルはトップ10のうち6人が所属しているし、女性モデルもトップ1はうちの事務所です。

変な人と思われるかもしれないけど、あまり寝ないんです。眠くならない。
本当に24時間仕事のことを考えてるから、夢でも仕事のことを見るし。夢でアイデアが思いついた時も、すぐ枕元のiPhoneで録音します。

自分の仕事を、ほんとうに愛してる。好きだけじゃなく、愛しています。
私は子どもはいないけど、会社が子ども。
朝起きて嬉しいし、夜寝る時も嬉しい。自分の大好きなことをやっているから。

——世界中のマーケットを相手に仕事をするタダシさんにとって「言葉」は大切な道具の一つ。語学習得をするのは「趣味」で、時間があれば新しい言語に取り組んでいるというタダシさんの、語学に対する考えとは。

英語があればほとんどの国では通じるけれど、感覚とか、わかりあおうとすれば、現地語を話せた方がいい。間違っていても良いんです。いま話している日本語だって、たくさん間違っているのは分かってる。でも私は全然気にしません。「これが私です」っていうのを伝えるのが大事だと思ってます。
日本人は完璧主義で、間違えるのは悪い事と思ってる人が多いでしょう?それはもったいない。

あとは、外国語を勉強するのも、仕事のことも、何でもそうだけど。目的がないと。
私は食べる事が好きで、ドイツ語のレストランのメニューを読めるようになりたくて、ドイツ語を勉強しました。
なんでも良いんだけど、自分の目標が何で、ゴールはこれ、っていう「なんのため」がないと、近づいていくことは出来ないですよね。

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